2011年5月17日(中山道てくてく28日目) 報告とスケジュール

満月に願いをかけて、完歩を夢見る。
とうとうゴール地点である三条大橋が射程範囲に入る近江八幡にある武佐宿に到着した。19日朝9時頃、ここ近江鉄道武佐駅で梅田氏と合流し、草津宿まで歩く。弥次喜多も仲間が増え大喜びだ。今日は不知哉川(いさや)の河川敷サイトを午前6時半に出発。途中、中山道をそれて多賀神社を参拝する。『伊勢へまいれば お多賀へまいれ お伊勢お多賀の子でござる』 後藤の曾祖父は近江商人縮緬問屋として手広く営んでいた。絶頂期にはここお多賀さんの馬頭人をつとめた程であった。また成功した近江商人の慣例であった財産の地元への寄付行為もなされた。彼の場合は彦根市民病院の敷地を寄付している。しかしかかる繁栄は関東大震災による売掛金の未回収により長くは続かなかった。
栄枯盛衰を見てきた天秤(てんびん)の里、豊郷五箇の庄を南下し愛知川宿を経て武佐宿に到着。途中、雨に出くわし弥次喜多は濡れネズミだ。
さて、19日に待ち合わせるとなると18日は調整日として休養することとし、弥次喜多は志賀の里、生駒の里にそれぞれ帰ることにした。母ちゃんに甘えたい。
本日の行程は、24?、10時間30分であった。19日は武佐宿、守山宿を経て草津宿まで歩きたい。いよいよ最終章だ。おやすみ。 弥次喜多ことショウスケ&サネヒサ