2011年5月14日(中山道てくてく26日目) ー美江寺宿にて連泊ー休養日

人生色々である。同じ人生があろうはずがない。おのれの人生に万歳を叫ぼうではないか。
さて、休養日をとり連泊しているここ美江寺宿にある美江神社の歴史案内に、『文久元年(1861)10月26日の和宮親子内親王江戸下向の途次、当宿小憩 と 慶應4年(1868)2月20.21両日、当宿を発信地とした東征軍東山道鎮撫隊のことは、当宿交通史に特記すべきことである』と書かれている。
すでに皇女和宮の歌に触れたが、中山道和宮の下向ルートであり、明治天皇行幸ルートでもあった。中山道を歩いているとこの二つの大行列がこれらの宿場の歴史的重大事であったことかがよく分かる。この二つに関する石碑の数の多さは群を抜いている。
よって和宮について少し書き記しておく。(ちなみに今年は中山道ができて四百年記念の年である) 仁孝天皇の皇女 和宮親子内親王(かずのみやちかこ)は将軍徳川家茂との結婚のため、文久元年(上記参照)京都桂御所を出発、中山道を通行して江戸に向かった。同年10月26日に泊まった加納宿本陣で詠まれた歌を再掲しておく。
『遠ざかる 都としれば 旅衣 一夜の宿も 立ちうかりけり』
幕末の日本の国難を救ったと言われる公武合体のため、結婚した和宮の辛さを感じることができる。
今日は休養日。境内にテント張ったままにして、近くの北野温泉に湯治に弥次喜多で出かけてきた。ここがまた素晴らしい美人湯だ。肌がつるつるすべすべになる。かけ流しでないのが残念だがご紹介しておこう。関西から行くとして、関ヶ原から(岐阜県)県道53号線を岐阜市方面に向かう左手にある。南に瑞穂市がある。丁度峠を下りる山間にあり景色もいい。脳梗塞の患者さんに出会い、そのお連れさんともその効能について尋ねてみた。本人が気分が良いようだから連れて来ていると。ここ以外は行きたがらないそうだ。またの機会にぜひ祥介君を連れてまた来てやりたい。いい湯だった。疲れがとれたような気がする。明日は長く歩けそうだ。美江寺宿をでて、赤坂宿、垂井宿、関ヶ原宿まで行きたい。天気は良さそうだ。もうすぐ新快速に乗れる米原だ。誘惑に負けそうだ。シャワー浴びに帰ろうかなって。なんだか体が軽くなった弥次喜多です。おやすみ。ショウスケ&サネヒサ