2011年5月15日(中山道てくてく26日目) 関ヶ原宿にて

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蛙が落日とともに勢いよく鳴きだした。水田には水が入り、田植が終わっている。この子たちが頭を垂れるほど稲穂をつけるのだ。今晩の設営はショウスケの提案で田んぼの畦道にした。
ここは関ヶ原の戦いで東西が激突した中心地点である。300M先には石田三成が陣をひいた笹尾山が見える。今晩は蛙の大合唱が亡き兵士(つわもの)どものときの声として聞こえてきそうだ。その関ヶ原の戦いに勝ち、三百年と言う太平の世の基礎を築いた徳川家康は、中山道をはじめ五街道を整備した。その中の『一里塚の設置』は今回の中山道てくてくラリーで大変重要な役割を果たしてくれた。たとえば近くを見てみると、垂井の一里塚(江戸日本橋より112里448?)、ここ関ヶ原の一里塚(113里452?)、今須の一里塚(114里456?)となり、一里に4?をかけるとたちまちに、日本橋より現在地までの距離が算出できる画期的な仕組みであった。ほかに関心したのは、高札場に掟を掲げて庶民をコントロールした幕府の知恵や、地元の有力者を上手に使った庄屋制、本陣、脇本陣制など江戸時代の宿場制度を研究したら面白いと思う。それは物流、戦術、人身掌握、道徳倫理教育、独占寡占、値段決定、商圏、情報管理収集、軍事作戦、関所による移動監視、手形による入出国コントロール
など研究テーマにことかかない。『宿場制度復活による観光立国宣言』など立派な研究論文になる。先にヒマラヤの観光小国ブータンを旅行したが、この宿場制度を上手に取り入れて成功させている国である。
関ヶ原の寒暖の差は大きく体には気を付けるようにと小島氏(愛車ワイルドローバー号の後輪パンク寸前にサイクルショップをご紹介いただいた地元のサイクリスト)よりご丁寧なメールをいただいた。感謝である。重ね着をしたい。
ヒョッとしたら満天の星を観察できるかもしれね。流れ星、天の川、カシオペア、オリオン、ノーススターなど。星たちが呼んでいる。眠れそうにない。今夜はショウスケと夜明かしだ。
本日は美江寺宿を5時スタート、赤坂宿、垂井宿を経て関ヶ原の戦場跡のキャンプサイトにに最終4時23分に到着。23?、11時間30分の行程であった。天気晴れ、紫外線強く顔、手足が赤く日焼けしてきた。もうすぐ琵琶湖だ。梅田氏より5月19日の区間参加の待ち合わせに関するメールをもらった。弥次喜多は嬉しくて興奮気味だ。なんと言ってもおしゃべりに飢えているからだ。
いま田植を終えて帰るじっちゃんから声がかかった。『そこで寝るんけ』、『戦場の露と消えた侍たちの声を聴くんだ』、『えっ』 もはや蛙たちの大歓迎、大合唱が始まった。 おやすみ。 合掌 弥次喜多ことショウスケ&サネヒサ(写真は関ヶ原戦場の畦道に設営したテント)