2011年5月10日(中山道てくてくラリー通算2 2日目)細久手宿にて

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休養日を木曽路ひるさとユースホステルで取った。今日5月10日、午後から雨の予報、雨の降る前に出きるだけ距離を稼ぎたいので朝5時に出発した。すでに霧雨が降り出しており、祥介君にも雨天決行を覚悟してもらう。大井宿から細久手宿までの行程には約13の峠と隠し峠(小)が7つ連なり、その最高峰が有名な琵琶峠540Mである。藤見氏の調査でも難易度四と報告されている。まず祥介君に後ろから押してもらい登坂を開始したが6番目の登りで息がきれた。雨に濡れた携行品の重量が重すぎて、砂利や岩石、石畳や山道の土砂流出防止用の横渡しの丸太に自転車が横滑りするのだ。山中にいるので突破しないかぎり目標の宿場に着けない。雨が激しさを増し、雨具を透して体のなかを流れる。記録や写真どころではない。記録ノート一部雨に濡れボロボロだ。覚悟はして準備は万端だったが、津波原発に対して最近日本人がよく使いだした想定外ということか。でも異常な豪雨だ。この状態があと三日続くという。午後4時30分、細久手宿入口の『天神』というバス停に豪雨を避け
飛び込む。瓦ぶきの二畳ほどのスペースだ。ただ東屋風なので霧状の細かい雨が前後左右から襲いかかっくる。まずロープを張り、着ていたすべての衣類を新しいものに着替え、濡れたものを絞って干す。たぶん乾きはしないだろう。あとは風邪をひかないようにあるだけのものを重ね着して体を温める。すでに周囲は暗くなりつつある。寝る準備を急ぐ。夕食はバナナ一本、チョコレート、カステラ二切れ、ビスケット一箱、水一本を祥介と二等分する。こんな被災地生活というか山の生活のためか祥介君の体重が60キロ切ったとか。雨足がますます激しくなってきた。着ているものも湿ってきた。今晩は早く寝袋に潜り込むことになりそうだ。何かボーイ時代の布天幕を思い出す。当時のテントは雨に弱かった。フライをしなかったらテントの中に霧雨が舞ったものだ。雨漏り、浸水と大変だったことを思い出す。 今日は皇女和宮の歌碑に出会った。彼女は天皇家より将軍家へここ中山道をたどり嫁入りした。紹介しょう『遠ざかる 都と知れば 旅衣 一夜の宿も 立ちうかりける』、『思いき
や 雲井の袂 ぬぎかえて うき旅衣 袖しぼるとは』(大久手宿ーおおくて)本陣跡の小学校校庭の歌碑より。今日は雨のなか、てくてく17Km、9時間の行程だった。明日11日のスケジュールは雨模様だが細久手宿、御岳宿を経て伏見宿まで行きたい。ショウスケ&サネヒサ(写真は槇ケ根一里塚にて一時雨が止んだので祥介君を写すー大久手宿にて)