2011年5月8日(てくてくラリー中山道20日 目)ー大井宿にて

馬籠は深い眠りにあった。天気予報どおりか、雲に覆われた恵那山のシルエットが水墨画のように美しい。雨を警戒しての東屋での一夜、テントと違い開放感に心身とも軽やかだ。馬籠の急なる石畳をまだ覚めやらぬ旅籠一軒一軒の様を楽しみながらくだる。昼間の観光客による雑踏を考えると、お店の多いことも頷ける。栄昌寺にある藤村の墓に詣で、一路落合宿へくだる。有名な古刹と呼べる苔むした石畳を十曲峠からおりる。深い木立ちに囲まれ、今にも修験者が現れそうな禅なる世界が展開する。以前、吉野から熊野まで五泊六日の奥駆けをただ一人で野宿(ビバーク)しながらの縦走をしたことがある。あのときに経験した精神的集中、宇宙の原点に引き込まれる際の頭脳の痺れをここでも体験させてもらえた。祥介氏曰く「隊長、ここはまさに『てくてくラリー』の真髄、人生の十曲(じゅうまがり)を学ばせていただくところですな」と。仏法的表現だと「無常尽尽妙法」と言ったところか。聖書的には「死んでも生きる」と言えようか。弥次喜多にとっては一種の宗教的な覚醒を覚え
たところとなった。さて、落合宿を経て中津川宿、大井宿へと一気に歩いた。昼から気温はうなぎのぼり、最高で体感28度に達したか。どうも紫外線の取りすぎか疲労度がまし、日射病の症状が出はじめた。これはいかん休養日を取らなくちゃと、中津川にある『木曽路ふるさとユースホステル』に午後5時半に投宿。とにかくベッドに潜り込み睡眠を貪った。みなさんからご心配いただき申し訳なしだ。夜中元気を取り戻し発信中だ。今日5月9日月曜日は休養日とし疲れをとってしまいたい。ワイルドローバー号の頑張りには頭が下がる。この起伏にとんだ山岳地帯をただ黙々と私たちの荷物を運んでくれている。毎朝夕、出立時と到着時には感謝の熱い口づけをもって労をねぎらっている。現在のところ持参している予備のタイヤの世話になっていない。靴君夫妻も見事な協力ぶりだ。モンベルのマウンテンランナーという最高のシューズを履かせていただいている。もうそろそろ携行予備二世夫妻にバトンタッチかな。登山中の足の豆は長年の親しい友だが、今回の長距離徒歩ではいまだ一

の友さえ作ってはくれないでいる。その理由はモンベルの哲学にあると思う。それは『使用者のハッピーはわれわれのハッピーだ』と。豆友ができない工夫はインソール(中敷)がメッシュになっていてザラザラしており、摩擦面を極限にまで少なく押さえていることと、ざらつきにより足の裏を鍛えるところにある。当初の感触に対する違和感も理由が解ればなるほどと感心することしきりである。さてわが肉体の一部である足の裏さん、これこそ縁の下の力持ち。わたしの歩く原動力はここにあるという信念で誰よりもよく語りかけ、学ばせていただいている。足様はただ黙々と歩いているんではないんだ。わたしの一歩でさえ彼等はいろいろ考え、分析し、この一歩はいかなる意味を持つのか、そのために自分達はいかなる行動をとればいいのか、最善の努力をして次の一歩につないでいく。まるでわが人生の歩みの姿勢そのものを教えてくれているではないか。有り難いことだ。風呂で足の裏を丁寧に愛情をこめて洗わせていただいた。感謝、 これこそナマステだ《わたしのすべての愛をあ
なたに捧げます または わたしの命をあなたに捧げます》という意味をもつ。5月9日は休養日とする。のんびりと過ごしたい。今週後半の天気は荒れ模様になりそうだ。5月10日の予定としては大井宿から細久手宿まで行きたい。中津川にある木曽路ふるさとユースホステルにて。 これから朝食だ。いいね。祥介&實久