2011年5月16日(中山道てくてく27日目) ー多賀神社付近にて

とうとう琵琶の地に入った。祥介曰く京の味がすると。そう、なんとなくすべてに華やかさという味なる風が吹いている。醒ヶ井の西行水を口にしたとき、関西の味を感じた。
今晩は彦根を流れる不知哉(ふちや)川の河川敷にあるゲートボール場にテントを張っての一泊だ。昨晩と同じく曇り空、星の観察は諦めた。今日も暑い一日、どうしても冷たい飲み物に手が出る。120円でビールが自販機で買えるんだから、ドイツなみにぐいぐいといってしまった。
いま村田君というライダー(オートバイでの野宿組)が差し入れを持って訪問してくれた。日本一周したおり鹿児島で事故り現在リハビリ中とのこと。テントを見たので無性にしゃべりたくなったとのこと。
互いの体験談や工夫、情報交換をして別れた。趣味の一致する友とは良いものだ。年代を越えてなんとも言えぬ親近感をもつ。
近場の中山道にも素晴らしい宿場がある。ぜひ足を運んでみられたらどうかと紹介する。柏原宿とそれに続く醒ヶ井宿だ。前者は景観保全、後者は水を配した宿場演出が中山道というノスタルジーに見事に調和し、訪れた者にその魅力を充分に堪能させてくれる宿場である。
今日はほかに常盤御前の哀しい墓に出逢った。都一(みやこいち)の美女であった彼女は16才で源義朝のメカケとなり、義朝が平治の乱で敗退すると、敵将平清盛の威嚇で今若、乙若、牛若の三児と別れ一時期は清盛のメカケになったと言う。牛若を案じ、乳母の千種と後を追って、墓のあるここ(関ヶ原山中町の峠)で土賊に襲われ息を引き取った。哀れにおもった山中町の里人がここに塚を築いたという。
芭蕉が一句『義朝の こころに似たり 秋の風』と。関ヶ原首塚といい、常盤御前の墓といい、今日は多くの無情なる風がわれわれ弥次喜多のこころの中を吹き抜けて行った。明日はさらに京の華やいだ空気が濃くなる。都を恋い焦がれた昔人の気持ちが分かる。では一句『帰り来て 眺める姿 裏伊吹』、『皐月風 田植忙し 不破の関』、太田道権作『ひとり行く 旅ならなくに 秋の夜の 寝物語も しのぶばかり』
おやすみ。いよいよ都人(みやこびと)に変身しなくちゃ。 本日は関ヶ原を朝6時30分にスタート、今須宿、柏原宿、醒ヶ井宿、番場宿をへて鳥居本宿に午後5時48分に到着。行程は約25?、11時間を要した。明日は高宮宿、愛知川宿武佐宿までいき、5月19日に武佐駅で梅田氏と合流する予定だ。
弥次喜多こと田中祥介&後藤實久