2011年5月12日(中山道てくてく24日目) 鵜沼宿より加納宿への道中にて

ここ東美濃にも大雨警報が発令中で、山間部での土砂崩れには厳重なる警戒が必要だという。われわれ弥次喜多が昨日通過した御嵩宿手前の『牛の鼻かけ坂』など一番危険な峠を、また今日は『謡(うとう)坂の石畳』を上り下りしたことになる。何事もなく無事であったことに感謝したい。伏見宿の西に『南無阿弥陀仏』と刻まれた石碑がある。これは念仏行者として修行した番隆(ばんりゅう)上人の名号碑である。天保5年(1834)に建立されたものである。番隆上人は山岳信仰を実践された方で北アルプスの『槍ケ岳』や『笠ケ岳』を修行の場とされていた。今日では槍ケ岳を開山された偉大な業績を日本の山岳史中に深く刻まれている。その上人の足跡に伏見宿で出会えたことに登山をし、槍ケ岳をこよなく愛する者にとって感動の一瞬であった。一昨年、日本アルプスを縦断したおり槍ケ岳より200メートル程下ったあたりにある上人が修行されていた洞穴で縦断成功と安全祈念を願って坐ったことがある。関心のある方は新田次郎著だったと記憶するが『番隆上人』をお読みいただきたい。(
お詫
び、番には手ヘンか必要)
今日、畑道を歩いていると畑仕事をしていた婆やが『どこからきたの』と語りかけてくれた。『うちの美味しいトマトと胡瓜食ってけ』と息子さん自慢のビニールハウスに招待されご馳走になる。祥介がトマトをもいでかぶりついた瞬間、トマトの中身がぴゅーっと飛んできて顔にビシャっ、祥介はおお喜び。胡瓜の丸かじりも美味しかったな。
しかし楽しい時間もあっと言う間に正気に戻される。自転車『ワイルドローパー号』の前輪がとうとうパンクしたのだ。よくここまで耐えてくれたものだ。感謝に耐えない。われわれに代わって重たい荷物を背負い300キロ近くも来てくれたんだ。さっそく修理したんだが、どうも手抜きがあったんだろう。数キロ進んだ頃、空気が抜けてダウン。太田宿の中山道会館の少し先にある『三品(みしな)サイクル』のご主人にお願いしてプロの技を見せていただく。完璧な修理にカブトをぬぐ、さすがにプロだ。祥介と二人、今後のことを考え真剣に学ぶ。前輪のタイヤを持参の新品に替え、チューブは修理した。明日からは後輪に注意を払うことになる。さて、今日は強弱はあったが絶え間無く雨がふった。ほとんどの中仙道が国道21号線と重なり、それも歩道がないところ(各務原ーかがみはら)もあり、追突や接触に全神経をつかう。祥介も私も肩が凝ったので鵜沼宿から加納宿へ下った各務原市役所近くのスパに飛び込んで疲れをとった。その近くの神明神社が今晩のねぐらだ。さて本日は伏
見宿を出て、太田宿、鵜沼宿を経て加納宿近くまで歩いた。25キロ、10時間30分の行程であった。明日は加納宿を経て、河渡宿美江寺宿まで行きたい。蚊取り線香が必要になってきた。霧雨が顔にやさしく降りかかる。子規がこな句を詠んでいる『すげ笠の 生国名乗れ ほととぎす』、ちなみに中山道の三大難所は『木曽の懸け橋、太田の渡し、碓氷峠』であったらしい。われわれ弥次喜多はこれら三つをクリアしたことになる。わたしも一句『五月雨に 太田の渡し 命懸け』、芭蕉は『ふく志るる も喰へば喰せよ 菊乃酒』。明日から天気が回復するそうな。おやすみ。ショウスケ&サネヒサ