2011年5月21日てくてくラリー最終日報告

2011年5月21日『中仙道てくてくラリー』最終日(32日目)

美しい浅緑に囲まれた長等公園には木漏れ陽がさんさんと射し込んでいる。
とうとう「中仙道てくてくラリー」も最終日を迎えたのだ。小鳥たちや谷間のせせらぎも祝ってくれているかのようににぎやかだ。天気よし、体調よし。
8時30分最終野営地・大津宿にある長等公園を出発、ゴール地点・京都三条大橋をめざす。
逢坂山の守護神『蝉丸神社下社』を詣で、道中の無事を報告。
  『これやこの ゆくもかえるも わかれては 知るも知らぬも 逢坂の関』  (関蝉丸―百人一首の盲目の歌人
  『花濃以呂は 宇つりにけり いたづらに わが身世にふる ながめせしまに』  (小町塚―小野小町の歌碑)
  『弥次喜多の 熱き想いを 背負いつつ 越えし逢坂 京に入るらん』   (實久)
  『半世紀  ながれしときや よみがえり  熱き血潮に 青春やどる』   (實久)

9時半ごろ、逢坂の関跡で「てくてくラリー」支援本部長・村田紘一氏(64年度生)の出迎えをうけ、大津宿より京都三条大橋まで弥次喜多と一緒に歩くこととなった。
逢坂を下ると左手に苔むした涼寂の寺、走井の庭園で有名な月心寺がある。
  『走井の かけひの水の すずしさに 越えもやられず 逢坂の関』    (清原元輔

語らいつつ平安神宮で休憩、安堵からか京がまぶしい。
いよいよ凱旋だ。
3時15分 写真担当・高間信和氏(71年度生)の先導で弥次喜多は夢にまで見た三条大橋を渡る。
到着式会場である河川敷には到着式プロデューサー梅田幹人氏(71年度生)と小山康子氏(76年度生)の掲げる歓迎横断幕がかかげられている。 その前にはられたFINISHテープを弥次喜多・後藤と田中祥が大きな拍手に迎えられ、同時に切る。
弥次さん・後藤(60年度生)と 裕子夫人のおす車いすに座った喜多さん・田中祥介(79年度生)の両名に OGOB会副会長・西村豊子氏(61年度生)から花束を贈られる。 一段と拍手が高まる。
  その中に、『やった! よくやった! うん、うん』と固い握手をかわしたOGOB会長・篠田常生氏(62年度生)、前日の大津宿・浜大津に夫婦で出迎えてくれた田中公朗・恵子夫妻(63・65年度生)、上嶋洋誉氏(63年度生)、ブログ担当として毎日の天気予報とエールを送信し続けてくれた西脇英司氏(73年度生)、アメリカ・ニュージャージの我が家に泊まった懐かしの桂茂樹氏(72年度生)、夫・武氏をサウジアラビアに送り出している岡本容子氏(76年度生)、同志社マークのついた三笠焼をもって馳せ参じてくれた草野裕司氏(84年度生)そして 家族の顔がみえる。
  式後、高山彦九郎銅像前で東日本大地震募金活動をおこなう。
ビアホール・スーパードライでの打上げ会には、てくてくラリー責任者・藤見昌憲氏(65年度生)も顔をみせ『てくてくラリー IN 中仙道』は無事幕を閉じた。 感謝である。
                              
 弥次喜多こと 後藤實久&田中祥介