旅の迷人  第9日目 7月9日(水) 2014年夏 フランス編 72年度生 桂 茂樹

朝あまりギリギリになるとフロントは忙しくなるので、9:30チェックアウトして、パリの他のユースについて問い合わせして貰いました。5か所全部当たって貰い、2か所OKのうち1つは郊外なのでパス。町の方のへ行ってチェックインしました。部屋に入ってみると、パイプの2段ベッドが12台。しかも私のスペースは隅の上段。昨日とは大違い。部屋には暇を持て余したチョット不潔な人がぽろぽろ。寝るだけやったらしょうがないかと諦めた。こんな所にゴロゴロしてても仕様がないので、荷物を置いてとっとと街に出ました。空模様が怪しいので、屋根のある場所へと、ルーブル美術館へ出向きました。それにしても寒い。7月1日パリに来て以来ずっと寒い8日間です。冬物を持ってきてないので、Tシャツにビーチサンダルなんて泳ぎに行くみたいな恰好してるのは私だけ。みんなコート着たはる。ルーヴルは平日でもそこそこ混んでいるけど、オルセーよりはましみたい。所蔵数30万点以上、そのうち3万5千点以上を常設展示しているそうだが、比較的見て歩いて見回るのが速い私でも5~6時間掛かる。因みに京都市美術館は千点位持っているのだろうか?嫌になります。閑話休題。30年前もモナリザはフラッシュ禁止やったけど、その時OKやったミロのヴィーナスのところも誰もストロボたいたはらへんので諦めました。昔の写真を載せときます。
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それともう1枚。日本でこんな近くで模写出来るでしょうか。
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予算面だけでなく、文化を育てるというのはどういう事なのか、口だけじゃなく行政ももう少し哲学してくれはったらなあと思います。色々考えながら、5時間ほど鑑賞して出てきました。夕食を軽くとって21:30 にユースに戻ってきたら、「あなたが出た後、学生グループが来ました。ここのルールは、ユースの名の通り26歳以下優先なので申し訳ない」とゆふ。それやったら、早よ云うといて欲しかった。「なあに今日は平日なので駅前にいったらホテルの空室は沢山有ります」やて。仕様がないので、タクシーを呼んで貰った。親切なドライヴァーで、リヨン駅がまだ人通りが多いだろうとの事で、急いでもらう。余談ですが、駅は、英語でステーション、スペイン語エスターシオン、フランス語はスターシオンて習ったのに、此方ではギャッルと言う人が圧倒的に多い。この運転手さんもそうで、急に「ギャッル ドゥ リヨーン」と言われた時には何のこっちゃ解りませんでした。まっ人懐こい人物で早口のフランス語で何度も何度も捲し立てているので、そのうち分かって来ました。だんだん雨が烈しくなってくる中、私がホテルに交渉に行くたびに、濡れ乍らトランクを下したはる。何軒尋ねても埒があかんのと、あまりに気の毒なのでユーロをたぶんたっぷり(日本紙幣と違って、色も大きさも同じなので暗がりでは区別がつきにくいのです)渡して帰ってもらいました。今から考えるとちょっと惜しかった気もします。でも、彼は気の良さで手伝っていてくれたのでしょう。それと私、タクシーのメーターが気にかかるというさもしさもあったのです。更に1時間ほど探したけどリヨン駅界隈はあかん。T シャツはもうびしょびしょや。最後に訊いたホテルのお兄さんが「ここは人気があるから観光客も多い。他の駅をあたったほうがと思います」そこでもうリヨン駅はゲーヴアップ。またタクシーを拾て今度はノール(北)駅へ行ってもらう。もう7月10日の午前3時前や!雨は少しましになってきた。けど何やこの駅前は?全体的に陰気くさいし、街灯があらへん。真っ暗やおまへんかー。遂に出てきよった。暴漢が!何か喚いとおるけど、さっぱり分からん。5分ほど揉みあった後、ドサクサで大外刈りが決まった。柔道技って43年以上使ったことことないのに、体って覚えとおるもんやなあ。アスファルトで頭を打ち付けて、跳んで逃げていきよった。残念。この時解りました。実際になったら、マンガのように巴投げとか一本背負いとか出来るもんやない。そんな大技が決まったら気を失いよるからポリス(仏)に引き渡せたのに。こんなとこにいつまでもウロウロしてられへん。チョット行ったら3つ星があったのでしゃーない。3万弱やったけど、文句いうてられませんでした。うーあのユースめ。受け付けに辿り着く途中で靴が濡れていたので大理石に滑ってこぶができてしもた。これやから高級は嫌いです。やっとの思いで部屋に入る。何か左胸20センチほど痛い。鏡を見ると見事に切られていました。いつの間にナイフ出しよったんや!?。そやけど何が幸いするかワカリマセン。もしTシャツが濡れてへんかったら、裂けて血だらけになっていたでしょう。桑原桑原。         (了)