旅の迷人 第二日目 2014年夏 フランス編 72年度生 桂 茂樹

 ドーハ空港はさして広くないので、五時間待つのは退屈だったが、スーパーカーアストンマーチン{古!}、フェラーリ458、スペチアーレ、ネロデイトナミウラ等)が数台展示してあったので何とか過ごせた。さすがはオイルマネーリッチ。
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 08:10カタールエアー39便にてCDG(シャルル・ドゴール空港)に向かう。11:10CDGに着き、荷物を取りに行って驚いた。私のグリーンアタックザックはすぐ出てきたのだが、キャスター付きキャリアがはずれてる。いつまで待っても出てこない。クレームをつけると、「多分、ドーハではずれたんでしょう。バッグなら、空港スタッフも気を付けているから何とかなりますが、キャリアーだけでは捜しようがないです。」との事。初めて使う物で4980円したのに。
 しかたないので、市内に出る為に、国鉄切符センターへと急ぐ。けっこうな人、人、人。25分待ち。それにしても色々な国の人がいる。目立つのはイスラムの人々(モスレム)とアフリカン、それと近いせいか昔チャウシェスクの圧政から逆けてきた人々の子孫のルーマニア人等々。
 ここでフランス人に対する私の所感を述べておきます。
30年前、初めてパリに来た時は、英語はほとんど話されなかったし、傲慢な人が多い印象を受けたので、以後フランスは敬遠してたんです。でも先日パリを一周されてきた黒木さんに聞くと、それほど偉そうでもないし、英語も通じるとの由。それではと今回になった面もあるのです。人間について言えば、私の見方では、日本にはちょっといない信じられない程親切で良い人が10%、大変親切な人(日本人にもいてはる)が10%、親切な人20%、普通40%、不親切な人10%、自国民以外、口を聞くのも嫌な人5%(これは比較的良い方。米国では20%位。殊に南部に多い。日本人も偉そうな事は言えません。70年位前迄は7~80%以上の人が、鬼畜米英、ロシア人にはロスケ、中国人にはシナ野郎でした。)悪人、マフィヤ、不法移民、ホームレス5%といったところと考えています。ただ、ここパリは美しい美術館や名所も多いのですが世界有数の犯罪都市なので、地方に住んでる人や他のヨーロッパ人でクレィジーティーと避けている人もけっこういてはります。そして悪人と不法滞在者の割合がグッと多いのは事実です。
 親切な人々についてのエピソードは、この旅行記のところどころで紹介したいと思います。さっそく一番目。国鉄の窓口で、バス・列車・地下鉄乗り放題の一週間定期を購入。5160円。ここのお兄さんが結構親切な人。日本で一泊だけ予約しておいた今夜の宿泊地ベルヴュー(パリ市東部)への道順とパリの交通網について詳しく(15分位も)教えてくれはりました。こちらも真剣に聞かねばなりません。ちょっと気を取られ過ぎたかも解りません。
 まっ、それはともかく、空港よりRERというパリ近郊列車に乗って35分、シャトレ駅でメトロに乗り換えてベルヴューまで30分。しょうもない所やろと思っていましたが、なかなかどうして。京都でいえば千本丸太町に雰囲気が似ています。割と大通りが多く、少し歩けば飲食や商店の町、千中(千本中立売)がある感じ。シャンゼリセほどきらびやかでありませんが、パリの下町と言ったところ。ただ、英語はまったく通じません。
 ここで1部のフランス案内の本に載っているように「ジュ ヌ パルル パ フランセ」(私はフランス語を話せません)「ドュ ユー スピーク イングリッシュ?」と言うのは、ちょっと無礼じゃないかと思います。せめて「ジュ ヌ コンプラン パ フォンセ。」(私はフランス語が解らないです。)「エクスキュゼ モア ムッシュー(マダーム)」(すいませんご主人・奥さん) 「パルレ ヴ サングレ」(英語しゃべらはりますか)くらいにしておく方が、相手の気を悪くしないと思います。
 さて、来てそうそう無料のフランス語レッスン。「パルドン ムッシュー ウ エ リュ リモーネ?」(すみません。ご主人。レモン通りは何処ですか。)所在なげにしてはる顔面ひげもじゃらの小父さんに聞いてみた。「トゥ ドロワッ ェ アゴーシュ」(まっすぐいって そして 左の方や)だった。幸いそこから90m位行ったとこにあった。
 確かこの一ッ星(木賃宿ーー大ざっぱに言って一ッ星は木賃・商人宿。二ッ星は民宿。三ッ星は30人位収容位の小ホテル。四ッ星は色々あって、ホリデイ・インやベストウエスタン等の世界的チェーンホテルもあれば、地元の個性的なホテルもある。五ッ星はハイアット・リージェンシー、シャングリラ、フォーシーズンズ、リッツカールトンといった世界的な有名ホテルや都ホテル奈良ホテル、加賀屋といった名門(二人で五万円以上)。確かこの宿はクレジットカードも使えない筈。
 現金を準備しとこっと、ポケットをゴソゴソ。あっ!無い!財布が無い!そや、ドゴールのチケット売り場で、パリ交通機関のレクチャーを受けている時、窓口に置いてきてしもたんや。日本でてから一銭も使うてへん。缶ジュースさえこうてへん。まっさらの手つかずの財布。ユーロ三万円、日本円二万円、運転免許証(再発行の手続きに写真600円と五千円とウィークデー半日かかりました。)
 何の為おとつい羽束師まで国際免許証を取りに行ったんや。これでこれからのフランス旅行の間50日レンタカーも借りられへん。(フランスでは車を運転する場合、アメリカと違って日本の免許証も併せて提示を求めるレンタ会社やポリスが多いと聞いていた。)それと先週わざわざ宇多野まで行ってゲットしてきたまっさらのユースホステル会員証(3500円)。
 そしてクレジットカード、ビザとマスター一枚づつ。何やかやで、再取得するとなると八万円分相当になる黒の二つ折り財布(これの購入費二万円は含まず)やのに。でも今から空港に戻ってたらチェックインが遅なりすぎる。
 しゃーないバッグとショルダーにそれぞれもう一つずつ財布があるから、当座それでしのぐことにしょ。
 ベルヴュー大通りから路地を10メートル程入った所に宿はあった。三階建てでエレベーターはなし。受付は1階(日本でいえば2階)。部屋数8。私の部屋は八畳位。トイレ・シャワー共同。これで八千円、シングルベッドと小さな机、椅子とクローゼットだけ。値段だけでいえば、オーストラリアのメルボルンのホステル(一っ星)の三倍位。いくら円安とはいえかなわんなー。2ユーロショップ(270円プラス日本での換金手数料を考えると三百円均一)はあるけど、店は汚いし、商品もあかん。首都というところはどこでも物価は高いけど、パリは特別。あのニューヨークやロンドンより高い。だって平均して3.5倍。シャンゼリゼのレストランは4倍以上する。この25年間のデフレのせいで日本が安すぎるのかもしれませんが、東京の銀座、京都の祇園と比べても高い。
 そういえば"はなまるマーッケット"がまだオンエアーしている頃、一家あわせて年収8千万円以上ある岡江久美子さんが、「パリは高いわねぇ。信じられないくらい。吉永小百合さんの一本一億には及びはしないけど、そのコマーシャルギャラは一本二千万円以上と聞いています。レギュラー番組が一本もなくても痛くも痒くもないでしょうに。余談ですが、マークン(年棒10億円その他スポンサー契約約10億円。計20億円以上)の嫁の里田まいさんの帰郷の際の楽しみは(「ニトリ」と100円ショップに行く事だとか。これは本人がコメントを言っているのを聞いたから間違いありません。」)と言ってはったのを思い出す.。
 それにしても祇園とか、京都駅前とはいわんけど四条通りどころか中心から離れた千丸ぐらいで55ユーロとはなあ。とりあえす荷物を置いて受付にキーを預けに行くと、貧しそうな若者が部屋を申し込んでいた。無情にも返事は「コンプリート!!」(仏語で満室の意。イギリス語で言うフル・一杯、アメリカ語でいうノーベイカンシー・空室なし)といったら分かりやすいかも知れません。見た目にも分かるくらい肩を落として出ていかはった。日本でネットで探して予約しておいてよかったんやなぁ。
 宿からちょっと行くと沢山の人どおり。白人は2~30%位。近くにベトナム人街、インド人街、アラブ人街があるそうな。デジャブやろか?。マロニエの並木を従えて、河が悠々と流れ、定員50人位の舟が運行されている。そや、サン・マルタン・運河や。映画で主人公アメリが、石を投げて、水切りをして遊んどったとこや。明日、リバークルーズに乗ったろかなあ。
 この町でも安いのは中華とケバブです。昼食食べる暇がなかったので、両方挑戦したろ。先ずはチャイニーズ。春巻きと八宝菜。それだけで1800円。トルコ料理ケバブは屋台(シンガポールでいうところのホーカーズレストラン。博多の天神の屋台街)で1700円。何でこんなに高いのやろ。C級レストラン二軒ハシゴとビール代(小瓶一本300CCが900円)二本ずつで併せて7100円。こんな調子やったら、しめて一万円ですやんかあ。それでも気を取り直して安そうな飲み屋を数件のぞいてみたけど、おどろおどろしい人が多かったので、(千中の裏道をそうぞうしてみて下さい。)諦めて宿に帰ってきました。
 部屋でちょっとだけ飲もうっと。途中でミニスーパー(六坪位)に寄って、安もんの赤ワインを買ってきました。スペインやったらボトルはプラスチックで、栓はひねるだけやったのに、フランスでは、どんな安物でもガラス製の瓶で栓はコルク。念のためと思ってワインオープナーを持ってきていた。助かった。あわや飲めへんとこですやんかー。部屋にはテレビもラジカセも無いので、電子辞書でフランス語の勉強に挑戦してみました。即バタンキュー最良の睡眠剤でした。
    (了)